上海の松江区の郊外に、「馬相伯」の暮らした家がありました。
馬相伯は、清末民初の教育家。(1840年~1939年)
震旦大学(のちに統合され、上海交通大学医学部となった)と、復旦公学(上海トップの復旦大学前身)を創設したことで有名です。
ウィペディアで見ると…
カトリック教徒の家庭に生まれた。11歳でイエズス会が運営する上海のイグナチオ公学(徐匯公学)に入学した。1862年にイエズス会に入会し、哲学・文学・天文学を学んだ。1869年、神父となり、安徽省宣城や江蘇省南京・徐州一帯で布教を行った。1872年、イグナチオ公学の校長となるが、外国人宣教師のやっかみに遭って、1876年にイエズス会を脱会した。
展示を見ると、カトリックの教育を受けて、多言語を身に着けていたようです。
日本語もできたと。
清末から、激動の時代を100歳まで生きた馬氏。
満州事変以降は、抗日運動に身を投じています。
↓ 八十九歳の時の書。達筆です。
「有生可悟長生楽、今世当知后世因」
1936年、「全国各界救国連合会」が上海で設立。
97歳の馬氏が送った言葉はなかなか激烈です。
ここからますます時代は暗転していくわけで。
馬相伯故居
上海市松江区開江中路358号
(ほかにも「故居」は2カ所あるそうです)
入場無料。入口は小さいのですが、中は広く。