中国に縁があって暮らすようになって、気がつけばかなりの年数が経ち。
中国語も普段の生活には困らない程度にはできるようになりました。
それでも、書きはいつまでも小学生の作文にもかなわず。
(漢字圏で読みはいけるし、長く暮らしていればしゃべりもヒヤリングもある程度はできるようになるのですが)
そんななかふと思い立って
「漢詩作ってみようかな」と。
日本では外国人が作る俳句や短歌も珍しくなく、中国語がある程度できるようになったら、漢詩が作れるようになるのでは、と軽く考えたのが始まり。
五文字四行の「五言絶句」で韻を揃えたらいけるのかあなあと、それくらいの感覚で。
あまりに五里霧中だったので、レジェンド石川忠久先生の『漢詩を作る』を手に取り。
そして、実はいわゆる「漢詩」には単に文字数やイメージする韻以上のかなり事細かなルールがあることを知り、愕然。
ムリげーのパズルのよう。
そこから、漢詩作りの沼に足を踏み入れたのです。
手探りで漢詩作りを初めて、3年くらいでしょうか。
まだまだ沼の中というか、深みにはまって首くらいまで沼に埋まっている状態ですが、沼の中から少しずつ見えてきたこともあり。
自分用の漢詩作りの学習メモとして、そして絶滅危惧種とも言われている漢詩作りを趣味とする方々との共存のために少しずつ記録していこうと思います。
そうそう、のちに漢詩作りの入門クラスの門戸を叩いた時に、
日本で漢詩を作ってみようとする人には3つのタイプがいる、と
ー詩吟をやっている人
(世の中にそんなに詩吟をやっている人がいることを初めて知り)
ー書道をやっている人
(確かに、掛け軸などでも漢詩のフレーズをよく見る!)
ーそして中国語学習者
(私はこれですね。中国語ができると漢詩ができるかもと思う口)
少しかじってみて思うのは…
漢詩を作るうえで、中国語ができることは確かにプラスにはなるとは思います。
現代の中国語と、漢詩世界の詩語は違うとはいえ、それでも中国語的感は働くことがあると。
でも、中国語が全くできない人たちがすらすらと漢詩の白文を読み下し、さらには古代の中国語で漢詩を作ってるのを見ると、それは特殊ですごい世界だなあと。
それができるようになるのは、まずは漢詩ルールのマスターと、漢詩の素養(一朝一夕では無理)が必要……なんですよね。
老後の趣味に向けぼちぼち頑張ります。
石川忠久先生の自作自書