漢詩作りのための雑記

漢詩は読むのも作るのも深い沼

西安紀行:空海にゆかりの「青龍寺」に行ってきました

師匠・恵果のもとで空海(弘法大師)が真言密教を習得した「青龍寺」に行ってきました!

お寺も重厚な建物ですが、実はこれは近年に再建されたものだとのこと

青龍寺の創建は、隋の開皇2年(582年)。

その後、唐中期には、恵果らの密教僧らが住持するようになり、唐代の長安地図を見ると、青龍寺のエリアはかなり広いですね。

唐末五代の動乱によって、都の長安は急速に寂びれて、青龍寺も姿を消したそうです。

 

1982年以来、西安人民政府が、青龍寺の遺址と伝承されてきた石仏寺周辺の発掘調査を行い、多数の唐代の遺物を発掘し、この地がいにしえの青龍寺であったことを確かめ、再興を行ったそうです。

青龍寺は復興され、そこには、日本からの寄贈で、空海記念碑、恵果・空海記念堂が建っています。

↑記念碑

 

伝法灌頂の場面:左が師匠・恵果、右が空海。

恵果・空海記念堂

youtube.com

 

そしてこの青龍寺、蓮生善隆(善通寺元法主)により四国八十八箇所の零番札所と名付けられているんです!

ということで、お寺で御朱印帖にゼロ番札所の御朱印をいただきました。

2024年1月2日。

御朱印帖込みで、100元でした。

 

さて、空海が阿闍梨への別れの詩を残しています。

これは師匠・恵果ではなく、ほかの阿闍梨との別れをうたった歌と解釈されているようです。

(捜韻では、阿闍梨ではなく「闍梨」となっていました)

 

「青龍寺留别義操闍梨」  空海(中唐)
 同法同門喜遇深 同法同門 偶(あ)ふを喜ぶこと深し

 空随白霧忽帰岑 空に遊ぶ白霧 忽ち岑(みね)に帰る

 一生一别難再見 一生一たび別るれば 再びは見(あ)ひ難し

 非夢思中数数尋 夢に非ず 思中に数々(しばしば)尋ねん 


七言絶句、「侵」の韻ですね。

 

中国語やサンスクリット語も身に着け、漢詩もすらすらと作っていたなんて、すごいなあ。

お参りしてきたので、少しは漢詩がうまくなるといいのですが…

 

 

お寺の向かい側に立派な建物が建っていました。

この左側の建物が博物館になっていて、2階に空海に関する展示がありました。

(1階は、青龍寺の歴史紹介)

入場無料、予約不要。

日本から寄贈された密教の神器なども展示されていました。

 

お寺に隣接された公園には、日本から贈られた桜の木がたくさんありました。

お花見の季節にも来てみたいですね。

公園の中央にあった「空海記念碑

下から、地、水、火、風、空を表しているそうです。

 

 

青龍寺

陝西省西安市 南郊大雁塔東北(南側郊外・大雁塔の東北位置)

地下鉄3号線と5号線「青龍寺」駅からすぐ